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三国無双8 その18 荀攸伝

荀攸クリアしました!


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モーションが面白くて楽しかったです。

加わるのが正史より早めでしたね。

基本的には文若殿との絡みかなーと思っていたら、まさかの賈詡との濃厚な絡みで笑いました。

本編でも言われてますが、赤壁前と後で本人に自信がついたせいか、声に力があるのがいいですね!

おそらく、尚書令への任命でエンド

尚書令については下記の解説に説明あり


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顔近いねん

 


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卒業した高校の文化祭にいこうぜ!的なノリで戦場まで行くな!!!

 

以下解説

 

荀攸

字:公達


キャラ選択時セリフ

「荀公達、不言実行、戦術成功」
 

曹操に仕える軍略家。

多くの大戦、局地戦において策を提案し、曹操軍を勝利に導いた。

荀彧とは縁戚関係。

 

当初は大将軍何進に荀彧らとともに官吏として登用された。

しかし、何進死後、董卓が政治の実権を握ると、荀攸はその専横を見て憤り、仲間と共に董卓の暗殺を図る。しかし事前に発覚して、荀攸董卓に投獄され、死刑が決められた。同じく囚われた何顒は憂いのあまり獄死してしまったが、荀攸は言葉も食事も泰然自若していた。しかし、その死刑執行前に董卓王允らに暗殺されたため、荀攸は助け出された。
 

長安から脱出した献帝をその本拠である許昌に迎えた曹操は、荀彧から荀攸の評判を聞き書状を送り、荀攸を召しだした。
 

曹操荀攸の名声を聞いていたが、実際に会ってみて大変満足し、「公達は並々ならぬ人物だ。 彼がいれば天下に何の憂いがあろうか」と語り、彼を軍師とした。
 

荀攸荊州宛の張繍征伐に随行した。荀攸曹操に向かって「張繍劉表はお互いに助け合っているから、糧に困らず強力なのです」と言い、劉表の兵糧供給を断ち切ろうと進言したが、曹操は取り合わず、進軍した。


張繍が危なくなると、劉表荀攸の予想した通り張繍を救援し、曹操は負け戦となった。曹操は「君の意見を用いなかったからこんな目にあった」と悔しそうに取り合いながらも笑い、再戦では奇襲部隊を使って勝利した。

 

曹操袁紹と決戦した一連の戦い。

俗にいう官渡の戦い荀攸は大いに活躍している。
 

まず、前哨戦である白馬の戦いにおいて、袁紹の部下の顔良が劉延を攻撃したとき、荀攸曹操に「囮軍を渡河させ、袁紹の軍を分散させる」策を進言し、顔良を孤軍の状態に追い込み、曹操に降伏していた関羽に討ち取らせた。袁紹の部下の文醜劉備の追撃を受けると、今度は輸送隊を囮に使う策を進言し、罠にかかった文醜は討ち取られた。
 

その後、曹操荀攸の進言に従って、徐晃と史渙に袁紹の部下の韓荀が率いる輸送隊を攻撃させ、数千台の穀物輸送車を焼き払った。

 

戦局が膠着し始めると、袁紹重臣許攸が兵糧守備隊の情報を持って降伏してきた。諸将はこの降伏を偽りではないかと疑ったが、荀攸賈詡と共に許攸の意見を支持した。曹操荀攸らの意見を汲み取り、即座に行動を起こし、自ら五千人を率いて淳于瓊軍を強襲した。この奇襲で袁紹軍は兵糧を失った。
 

その後、袁紹の命令で曹操の本陣を攻撃していた張郃、高覧らが離反し、留守を守っていた曹洪に降伏を申し入れてきた。曹洪は疑ったが、荀攸張郃が降伏を決意した事情を分析し、信じて受け入れるように勧めた。この前後に袁紹は逃走し、官渡の戦い曹操の勝利で終わった。

 

荀彧とは違い、彼は曹操が魏帝になるように率先して活動した。

その結果、彼は魏の尚書令(皇帝の文書の管理をつかさどる秘書官の役)の官職に命じられる。

尚書令となった荀攸は、荀彧と同じように賢者や名士を推挙したので、曹操は 「荀彧と荀攸の人物評価は、時が経つほど益々信頼できる。吾れが死んだとしても忘れられまいぞ」と語った。


曹操は「荀攸は人の手本となる人物である。お前は礼を尽くして彼を尊敬しなければならぬぞ」と、曹丕に語った。荀攸が病気になった時、曹丕は見舞いに訪れ、荀攸の寝台の下で拝礼するなど、特別に尊ばれた。

 


しかし、曹操孫権討伐に従軍しているときに陣中で死去した。曹操荀攸の話をする度に涙を流したという。

また荀彧とは違い、曹操との関係は終始良好であった。

 

荀攸が立てた奇策は合計して十二個あり、親友の鍾繇だけがその内容を知っていて、彼は荀攸の著作集を編集していたが、完成しないうちに逝去した。その為に荀攸の全計略が後世に伝わらなかった。