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三国無双8 その13 曹操伝⑦の② 濡須口解説

最初に言っておきます。

 

濡須口超楽しかった!!!!

いや弓で凌統を射たら特殊イベント発生とかやばくないですか???

船上の戦いも大満足です。

南郡含めて7章超楽しかったです。

 


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どっちの名士で将ー

 


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船の上にて


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凄い眩しい感じだった

 

以下解説

濡須口の戦いは三回あるのですが、今作は1と2が複合なので合わせて解説。3戦目は第10章であるみたいです。

 

馬超らを破った曹操は自ら軍を率いて孫権征討を開始した。馬超を倒した以上曹操は西部にまわす兵力をある程度減らすことも出来、さらに関中以西の動員力をある程度掌握していたはずで、この時曹操赤壁時以上の大軍を率いていた可能性もある。

曹操は軍を濡須口に進め、孫権も自ら軍を率いて防衛にあたったが、董襲の乗艦が夜間の突風で横転、転覆し、董襲は死亡した。

この時董襲は部下に下船するように説得されたが、将軍としての責務を説き最後まで艦の復帰を図った。

徐盛の船も強風によって流され、諸将と共に敵中に孤立してしまった。味方の誰もが、敵に取り囲まれたことを知り恐怖に震え上がったが、それに対して徐盛は自ら敵中に突撃した。絶望に捉われていた者たちも、これを見て敵に突撃をかけたため、敵は多くの損害を受け引き返した。

このため、徐盛達は天候が回復した後に堂々と帰還することができた。

曹操は夜中に出撃したが孫権軍の攻撃を受け退却した。

 

孫権曹操が出撃してこないのを見て船に乗り自ら強行偵察に出て、帰還して楽隊に盛大に音楽を鳴らさせた。その後も孫権は積極的に戦いを挑もうとしたが、部下に諌められた。

その後、孫権甘寧に特別に酒と米を与え、甘寧は100人ほど集め、酒食を振舞うと、曹操の陣営に夜半奇襲をかけることを提言した。このとき、渋る部下に対し

「お前は自分を何だと心得ている。殿がお前を俺より大事だとでも思っているのか。将軍である俺ですら死を覚悟しているのにお前一人が何故命を惜しむのか」と兵士にまでも自らの酌で酒を振舞って隊を鼓舞したという。

 

こうして結成した決死隊により夜襲をかけると敵兵は混乱し、動揺して引き下がった、

呂蒙の策も功を奏して曹操は川を下って軍を進めることができず、一月余り対峙したあと撤退した。曹操孫権の布陣に少しの乱れも無いことに感嘆し、「息子を持つなら孫権のような息子がいい」と周囲に語った。
 

再度曹操は自ら軍を率いて孫権征討に赴いた。今回は曹操軍の総力戦という規模であり、赤壁以降留守司令官となり前線を退いていた夏侯惇など主だった武将の多くが参加し、合肥張遼も参加した。

曹操は軍を率いて対峙する一方で、豪族に反乱を起こさせるなどの政治工作も行った。しかし、曹操側では疫病が大流行してしまっていた。

曹操は陣取り、張遼臧覇を先鋒として孫権軍を攻撃した、孫権軍が退走。

孫権側は呂蒙を指揮官に任命し、呂蒙は保塁の上に強力な弩一万を配備させた、曹操軍の先鋒部隊が陣営を築き終える前に、呂蒙曹操軍の先鋒部隊を攻撃し撃ち破った。

しかし、情勢が不利になり、曹操は立ち退きを命じる。孫権が使者を遣って曹操に降伏を申し出、曹操が受け入れ両者は軍を引いた。

 

曹操は大軍を率いて戻る。

この従属関係は後に、呉と共に関羽を討つことになるのであった…