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三国無双8 その12 曹操伝⑦の① 南郡~潼関解説

続いて第7章

地味にわりと重要な戦が続きます。

南郡は最近描いてくれるからとてもうれしいです。3でしかなかったはず…

牛金とか朱霊を次作に出していただけないでしょうか…

 

潼関は馬騰が襲撃してくるとこを出すとはびっくりしました。王異が相変わらず怖い…

 

以下解説

赤壁にて大勝利をし、南郡に進撃した周瑜軍は、曹仁と長江を挟んで対峙。甘寧はこの際に夷陵城を奪取することを提案し、周瑜はこの提案を採用。

甘寧は数百人の部隊で夷陵城を奪取した。曹仁甘寧に対し即座に5000人規模の部隊を派遣し夷陵を包囲させた。このとき甘寧は降兵とあわせて僅かに千人あまりの兵を率いているだけであったが、包囲されても泰然として指揮をとった。周瑜呂蒙の献策をいれて、凌統の部隊に守りをまかせ、自ら夷陵城を包囲する敵軍を攻撃して破り、夷陵を完全確保することに成功。

その後、曹仁は渡河したばかりの周瑜の先鋒部隊に陥いれられた配下の牛金を僅か数十人で包囲網に突入して救出。

この時、正面決戦の末に、周瑜は流れ矢を受けて重傷を負った。曹仁周瑜重傷を知り、進撃した。周瑜は重傷のまま戦に臨み、曹仁の攻撃を退けた。

だが、曹仁周瑜劉備らに包囲され、関羽にも道を封鎖されたため窮地に陥った。だが、李通が関羽を攻撃し、包囲陣に突入し、曹仁軍を救出したため、曹仁らは江陵を捨て撤退した。

こうして、周瑜らは江陵を占拠し、南郡を平定した。この間、南部の4郡の太守は劉備軍に降伏、敗死し、劉備は前より大きく勢力を伸ばした。

 

その後、曹操夏侯淵らに命じて漢中の張魯を討伐しようとした。

しかし、馬超韓遂らは自分の領土が攻められると疑心暗鬼になり、共に兵を挙げたことからさらなる戦いが始まる。

曹操曹仁を派遣し、潼関を守備させた。

また、密かに徐晃・朱霊に命じて蒲阪津を渡らせ、黄河の西岸に陣地を作り、攻撃してきた梁興を破った。曹操は自ら殿軍となって潼関から北に渡河したが、馬超曹操軍の渡河に乗じて急襲したので危機に陥った。

丁斐の機転と許褚の奮戦により、曹操は渡河に成功し、馬超らを伏兵を用いて破った。馬超らは曹操に和睦を申し入れたが、曹操は拒否した。

馬超韓遂曹操三者は馬上で会談を設けたが、その際、許褚が曹操のそばで目を光らせていたため、馬超は手出しができなかっ。この会談の直前、曹操の参謀賈詡が考案した離間の計にかかった馬超曹操に裏切ったのではないかと韓遂を疑った。

足並みが揃わない彼等は結果、曹操に敗れてしまう。

馬超韓遂の一族は、処刑された。

その後、馬超は再び反乱を起こして漢中の張魯と手を結び、涼州を治める韋康を和議を結ぶ振りをして殺害し、冀城を根拠地とし、曹操軍の涼州方面司令官の夏侯淵を破るなど、しばらく抵抗を続けた。しかしそれも長くは続かず、韋康の復讐のために挙兵した楊阜らに冀城を奪われると、張魯に降った。

馬超張魯に兵を借りて戻り、祁山を包囲したが、夏侯淵軍の先鋒の張郃に攻められ、戦わずして逃走した。やがて馬超張魯と不和となってその元を去り、成都劉璋を攻めていた劉備に帰順した。

韓遂は同じく夏侯淵と戦うが敗れ、西の果て西平に逃れて病死した。

曹操涼州を平定したのであった。